続・オヒ!の殿堂3(番外編)

藤堂俊介がこっそり書くブログのようなもの

昭和64年→平成元年


 平成最後というコピーが賑わせる平成30年末。平成と言っても30年というのではなく、2018年という西暦を使っているのは滑稽に見える。マスコミも改元後、NHKと産経新聞以外は、西暦へ一本化した。平成の次の元号では西暦を切り替わっていくところが増えるであろう。国際ニュースでは西暦、国内向けでは元号と使い分けいたNHKも、西暦へ一本化されつつある。
 元号は中国発祥、一世一元になったのは明時代、日本では明治より、本家の中国は辛亥革命で廃止。使っているのは日本のみである。

 昭和64年1月6日までNHKのニュースには昭和天皇の血圧などの表、陛下の病状を使えていた。自粛ムード、下血という言葉が毎日のように聞かれた。
 7日土曜日は、半日勤務、今は使われなくなった言葉《半ドン》であった。午前6時に起床し、NHKニュースを見ていた、宮内庁の会見後、臨時ニュースのチャイムがなり《天皇陛下崩御》の大きな字幕(あらかじめ用意していたのか?)と、アナウンサーの崩御を伝える。Youtubeを探せばその動画が見つかる。


 半ドン勤務が終わり、郵便局へ行き、はがきを購入し、《64. 1. 7》の押印してもらった。Xデーと言われていた日がついに来たなと思った。
 テレビは教育テレビ以外は崩御の特別番組と、新元号はなにかに注目された。


 午後2時半過ぎ、新元号を知らせる、あの有名な場面をテレビで見ていた。平成になるんだという感じしかなかった。テレビはどこも崩御のニュースであった。今なら、ネットでYoutubeを見るか、オンデマンドビデオサービスを見て過ごすと考えられるが、当時はレンタルビデオ店が繁盛したとのニュースがあった。レンタルビデオ店が遠かったために、録画していた時代劇ビデオを見るか、私の場合は、自室で読書、ファミコン、それにワープロ専用機で日記か物語を打っていた。


 翌8日は、どんよりとした曇り空。ふらりと車を走らせ、海が見える場所へ。新しい時代が始まるんだという感情もあった、それより強かったのが、明日から仕事だということだった。9日の月曜日から日付を平成するゴム印を書類に押していた記憶が強く残っている。


 あれから30年、日常生活では西暦が中心になった。普段使わないマスコミや企業が、突如、《平成最後》のコピーを用いて言い始める滑稽さを感じながら、新年を迎えることにしよう。