気持ち悪い表記:障がい者
害を仮名書きする、気持ち悪い表記。《障がい者》。私も障害当事者である。
『障がい者』の表記が定着したと仮定して、『がい』は一体何の漢字なのと聞かれて、障『外』者、と連想されたら目を覆うばかりである。
害を追放して、障と者だけなぜ漢字、良くわかっていない行政機関。障害者を『差し障りがある者ども=近づけたくないもの』という隠喩で用いていると、私は感じている。
減免も雇用率も『差し障りがある者』へ『配慮してやっている』と言う、見え方になってしまう。福祉の関係者も、差別を無くそうと言って、害を追放したつもりが、『差し障りがある者』(またはかわいそう)が深層にあるのではないかと。
象徴的なものは、障害者に例えば登山経験が少ない障害者に富士山登山させるなどの、無謀な運動を挑ませてお涙ちょうだい、何の意味があるのという100kmマラソンさせる、24時間テレビは仮名表記。普通に暮らせて、普通に登場しても『差し障りがある』から、何か挑ませようという意図が、『障がい者』表記ではないかと。
障害という漢語は、2つの漢字で1つの意味。碍や礙の漢字でも差し支えはない。数十年用い、法律用語から、NHK/新聞の用語までいまだにこれで、『差し障りなく』運用されてきたから、下手に混ぜ書きなどして、用語をいじるより、誰もが壁がなく暮らせるようにするほうが先と思う。言葉を変えても差別を無くそうとしないと、新しい言葉に差別の意味合いがついてくる。バリアフリーなどの費用をかけるより、言葉狩りか言葉遊びが安上がりなのだろう。