続・オヒ!の殿堂3(番外編)

藤堂俊介がこっそり書くブログのようなもの

個人的に考える《障害者》表記

 障害者の漢字表記から害を追放してまぜ書きする気持ち悪い表記が幅を利かせはじめている。
 障碍に戻せと主張する方もいる、これには賛同する。ただし、漢字制限を目的とした当用漢字表が制定されて70年ほど経過し、定着してしまった。常用漢字表は、漢字制限とは異なり、使用の目安だから表外字の碍を堂々と使ってもいいはずなのに使わない。小学校で習う教育漢字表に追加して欲しいものだ。


 碍を使いたがらず、かな書きするのは、単に表外字だからだけなのか。複雑で覚えにくい字形だからとは思えない。


 何かこめられた意思
 テレビの例で推測した。
 NHKの場合はバリバラだって障害者と表記している。ニュース記事も機関名として使用を除くと99パーセント強は障害者表記。まれにニュース記事と字幕で出る例がある。



 民放は害のかな書きの頻度が高くなった。全廃される勢いである。顕著なのはTBS系日テレ系。TBS系のニュースが、害をかな書きに統一する傾向である。当然ながら24時間テレビもかな表記である。



 バラエティ番組はかな書きの比率が高く、障壁を意味する障害、医学用語においての障害の害かな書きするなど混同しはじめている。医学用語を例とすると、発達障害発達障がいへと統一されつつある。


 障害者を扱う番組真っ先にかな書き統一したのは24時間テレビ。何かを挑戦させたり、困難に立ち向かう障害者を見せて感動を取る。がんばる障害者という題材のドキュメンタリー仕立てのバラエティ番組もかな書き。


 共通しているのは見る者にとってお涙頂戴の害がない存在。ただし、自己の生活圏にいて欲しくないし、ならなくてよかった。いたとしてかける言葉は大変ですね。知的、精神が伴うと途端に害がある人として恐れる。

※新聞は従来どおりの表記である。


 不自由な人を害があるかいなかで見ているぞという隠れた意思表示と思えてきた。かな書きの障害者は望ましい障害者だと思うようになった。


 がんばりと感動を与える障がい者として生活していない。このように表記や街の障壁に文句を言うから、望ましくない障害者に分類されるだろう。


 感動を与える道化より障壁がなくなるほうが誰にでも優しいから文句を言っていく障害者でいようと思う。


 最後に、日本語に漢字ある限り、害を忌み嫌うならば碍を使えである。