続・オヒ!の殿堂3(番外編)

藤堂俊介がこっそり書くブログのようなもの

もうすぐ9年

まもなく転倒負傷から9年
 まもなく転倒負傷から9年経つ。深夜、尋常でない腹痛が起きトイレに駆け込む、気を失いそうな痛みだった。二度目の痛みで、トイレに座ろうという直前に記憶を失い壁か床に頭をぶつけ、首の神経を痛め、救急搬送。斑麻痺となって、障害と付き合いが始まった。


 半年のリハビリのおかげで、当初想定されていた寝たきり良くて車椅子での室内のみの移動を超えて、杖での歩行まで回復した。現代医学ではこれで回復終了の太鼓判を押されたから、あとは再生医療の先生方が叡智を結集させ、治療法ができるまで、やりたいことはお預けである。


 バイクを乗り回して、観光地や温泉巡り、そして撮り鉄は、困難と不可能の中間点。再びバイクに乗るぞとリハビリ中に念じて取り組んだから、乗れる一歩手前まで回復した。運転免許は、二輪に限定と改造がついた。再生医療が当たり前になるまで、お預けとする。


 撮り鉄は、工夫が必要。改装される駅はバリアフリー化されたが、駅に行くまでが障壁がいっぱい。おまけに駅の位置が変わり、歩行距離が伸びた。健常な人の150メートル歩行は容易。身体に障害を持つと、10倍の距離に感じることがある。施設をバリアフリーにしても、街がそうでなければ、障害となる。進歩的な人々が文字の上だけで害を追放しても、目の前に実態としての害が存在する。


 障害が起きれば、何かに代行させる、例えば、過去勤めていた会社のオンラインシステムに障害が発生した場合、即時処理が必要な取扱は電話を使った。蓄積してあとから処理する方法もあった。リハビリ病院に転院後、どこがダメで、どこが使えてを振り分け、代行できるもの、誰か手を借りるものを考え行った。回復が無理か時間をかけて取り組むものは後回しにして、残っている機能で何が使えるかを探していった。


 最大の難関は、動くが痺れている、痺れて動かない、動きにくい手先をいかようにするかであった。例をあげると手書きとキーボード入力。手書きは特に苦労した。なぜならば、銀行と郵便局の貯金窓口での書類記入においては、代筆を頑なに断る。窓口担当が上司に相談し、さらにどこかに電話して指示を仰いで待たせた挙げ句、自署を求められる経験をしたからである。どうしても譲らないから、筆圧をかけずに手書きできる液晶画面とスタイラスペン、筆記具を探していった。ようやく住所氏名を何とか書けるまで5年近く要した。



 キーボードは両手親指2本。流石に腕も痺れているから、打つたびに痺れと痛みが襲うからスクリーンキーボードに変えた。現在は長文はスマートフォンのスクリーンキーボードとメモ帳または日記帳アプリを行い、共有かコピペを使ってPCへ移している。この方法、便利でないが、不便でもない。


 中途で障害を追うことは、苦労と不便がつきまとうが、追い打ちをかけるのが、憐憫の情のつもりでかける言葉。
 かわいそうと言われても、あなたの基準でしょう。大変だねは、君より手間が増えただけだよ。頑張ってと来たら、頑張りすぎて困るのである。そもそも、障害持つと何が起きるか理解していないから頑張れと安易に言えるのである。


 ただのボヤキになってしまいそうだ。再生医療の先生方のたゆまぬ努力を信じて日々是新でいこう。