続・オヒ!の殿堂3(番外編)

藤堂俊介がこっそり書くブログのようなもの

語学学習

語学学習


 語学学習イコール英語。小学校から英語を習得。今までならローマ字というラテンアルファベットを用いて日本語を表記する手段を習ってきた。国語をすべて仮名かラテンアルファベットに置き換えようと言う動きはあった。


 置き換わらなかったのは、日本語の文字として取り入れられた漢字が切っても切れない関係になっていたからである。ただし、今後、カタカナ語を惜しげもなく使う傾向があるから100年後の日本語は、漢語がカタカナ語に置換され、仮名のみの文章になっていることと考えられる。


 話を英語に戻すと、英語の学習の目的はなんだろうか。受験を突破するための教科、外国人とペラペラ話したいという目的ではなかろうか。《受験英語》は、読み書きから話すなどの技能を追加する予定であったが、民間の検定試験に投げ混乱に陥れる頓挫した。検定業者はまさに《捕らぬ狸の皮算用》となったわけである。


 外国人とペラペラ話したいと思っている方、会話書にありがちな道案内の場面において、向こうからエクスキューズミーと声かけての会話はめったにない事実を知って欲しい。なぜならば、一人旅または少人数旅の様子を見ると、詳細な観光案内書を携行している。多言語の観光案内、それにスマホがあればGoogleにアクセスすれば良いのである。


 会話ができたとしても、外国人はお天気の話ばかりではシラケる。文化歴史から民俗などの知識を持ち合わせれば会話が進む。話せても話す内容がなければ会話不成立となる。


 現在は、インターネットで外国語の情報は容易に入る、これも地球規模になった恩恵である。会話よりも資料を読み書きできる能力が重要となってくる。言語学習は聞いて話すから始める。英語の場合、大半の人は中高6年間英語学習をしているから、基本の基本派学んでいる。ゆえに、読み書き能力を高めるのが優先。


 読み書き能力がついていなくて困った例がいくらでもある。アプリケーションの問い合わせが英語中心が多く、翻訳サイトの結果はまだ疑わしい。日本語独特の言い回しがとんでもない結果になっている恐れもある。


 読み書き能力がついていれば、忖度マスコミ、ニュースサイトのライターが悪意を持って流す情報を見破れる。言葉の壁を利用したトリックを見破れる。また、SNSにも紹介や意見を書くこともできる。


 かつての日本の知識人は、外国語を読み書きしていた。何を隠そう、古典教科で習う文言つまり《漢文》である。漢文は中国語の書き言葉である。日本人は訓読や記号を発明し、日本語の文法に合わせて読みこなしていった。英語も訓読しようと思えばできないことはない。《アイはスチューデントである》とできるし、英単語を訓読みすることもやろうと思えばできる。と言うか無意識にしている。なぜならば、カタカナ語と助詞だけで記述している例もあるからだ。


 例えば、新型コロナウィルス騒動を上げると、《パンデミックかから、オーバーシュートし、ロックアウト》という使い方である。


 英会話できて外国人と話せてかっこいいは終わりにして、英語の読み書きを完璧にできるように学んだほうが実践的である。