続・オヒ!の殿堂3(番外編)

藤堂俊介がこっそり書くブログのようなもの

令和8年9月22日の日記

藤堂俊介




令和8年9月22日


おはようございます 


連休4日目、台風の被害が気になります。被害はなかったでしょうか。


現在履いているマジックテープ式シューズを用いて1~2mほど杖歩行ができるようになりました。靴底が高めですからつまづきのリスクがいまだに残っています。


屋外の杖のみ歩行はまだかなり先だと思います。無理を市内程度に進めていきたいと思います。


秋晴れの長崎








秋晴れの爽やかな日です。冷房も朝晩は不要になりました。秋の気候になるのももう少しのようです。


キャンドゥ月間予定表



B6版とA6版の10月始まりを入手しました。この猫デザインの手帳は令和2年から毎年購入して使っています。その他、1月始まりと4月始まりが存在します。


見開き2ページ1か月の予定表。余白のページも合って薄くて軽い。カバーもついていて至れり尽くせりです。


週間予定、1日単位の日程表は私には今のところ不要です。必要に応じて付箋紙やラベルライタで打ち出したラベルを貼っています。


ラベルライタはラベルの記憶がありますから、毎年1回の申請に必要な書類一覧を記憶させて貼っています。

令和8年9月21日の日記

藤堂俊介


令和8年9月21日


おはようございます


祝日敬老の日の朝を迎えました。台風の動きがとても気になります。


週3回のデイサービスの日。長崎は晴れの天気かつ昼間は真夏日の予報が出ています。寒暖差は私のこわばりに強く影響します。運動麻痺の左側の膝が特に今日は固まります。歩行器歩行よりも踏み台昇降に影響します。20cmが左膝のこわばりによって現在停滞中つまりできません。

できないから落ち込むのではなく今できるのを伸ばしていきたいと思います。


デイサービス


リハビリ


麻痺の硬直が一定程度収まった頃に始めました。


歩行器用いて5分歩行次に15センチメートルの踏み台昇降をゆっくりと10回、その後歩行器歩行を5分。歩数は990歩でした。


歩行は5分間止まらずに歩行しました。


麻痺のこわばりが落ち着いたあとにすると能力が上がります。


昼食


御献立




ちらし寿司、揚げの味噌汁、海老天、ごぼうの肉巻き、ほうれん草のお浸し、おから、イチゴゼリー。


敬老の日向けの御献立でした。


証券外務員一種テキスト




日本経済新聞出版の書籍をAmazon から取り寄せました。十数年前、特別会員二種に合格しました。病気のため休職し、この資格を使う機会がありませんでした。転んだことによる重度障害によって長期療養後更新研修を受けてくださいと会社が言いました。当時は身体障害者手帳しか持っていないため、会社に証明書はこれでいいかと尋ねると、大丈夫だと言いましたので会場へ行くと使えません。他にはないですか、パスポートか住基カードならできますよと言いました。


しばらく経ち、一種も受験できるを聞き再び挑戦してみようかと取り寄せました。


この試験はパソコンで回答をするため手書き麻痺でしにくい私でもこわばりさえなければ受験ができます。


会場まで行くことは現在はわかりません。リハビリを続けて合格ができまでの知識をつけようと思っています。


出題科目の中には大学で学習した内容の復習も入っています。

令和8年9月20日の日記

藤堂俊介


令和8年9月20日


おはようございます


日曜日の朝を迎えました。エアコンをつけずに眠ることができました。寝ている時のこわばりが少なかったため、短時間でも熟睡できたようです。


無理をせずできる範囲で買い貯めた本を読み進めようと思います。


バスの日


バスの思い出といえば、最初に1人で路線バスに乗ったのが6歳の頃、3km先の町の中心部へ行ってみたいと思って乗りました。終点に行ってまた帰って来るだけでもワクワクしました。


家の前の道路はバス路線。物心付く頃からバスに興味を持っていました。両親が運転免許を取るまでは家族総出で1時間離れた商店街までバス移動していました。


小学校時代はバス路線がなく遠足と修学旅行のみ、中学時代は雨のときの通学、そして体育大会と修学旅行でした。


高校時代は3年間20km先の高校へ朝一番のバスを使って通学しました。水平線から登る太陽も季節によって見ることができました。冬になると水平線に浮かぶ島々の浮島減少を車窓から楽しめました。


現在、田舎のバス路線は減少してしまいました。私の住んでいた家の前の路線も四分の三世紀存続し廃止。ジャンボタクシー転換。島の中心部から平成の大合併前の町役場所在地と温泉地と観光地、空港の路線へ縮小してしまいました。


幼稚園児の頃、大人になったら島の路線バス運転士になりたいと思っていました。現状の路線減少になるとは当時は思ってもいませんでした。


それではご安全に。