続・オヒ!の殿堂3(番外編)

藤堂俊介がこっそり書くブログのようなもの

コロナ許すまじ

コロナ感染者許すまじ


 今年の連休は自粛。特急も運休。帰省もオンラインを推奨。


 もう一つ、今年は健康管理に細心の注意を払わなくてはならない。うっかり発熱でもしたらCOVID19に感染を恐れる。仮に罹患していたら《重症化》よりも《コロナ差別》が怖い。


 確認数が横ばいの自治体では、罹患者を出してはならない状態。県議のTwitter発信を見ると、《○日間コロナを出さなかった》の表記は、感染増大を抑えられていると同時に、もし、感染を出した者は許さないという意思表明でもある。


 1人の罹患でも仰々しい記者会見を開き、マスコミが大々的に伝える。ネットの一部の不心得者が、それが嘘であっても個人情報を流す。いまだに根底にムラ社会と隣組が根底にある地方ではCOVID19に罹患することは、コミュニティからの抹殺、言い換えると《村八分》を意味する。


 なぜこのようなことを書くのかと言えば、他県からの移動を控えてもらうため、自治体が監視しているニュースが流れると、《自警団》が生じ、他県ナンバーに執拗な嫌がらせが起きる。それを防ぐために、その地域に住んでいるとの標章を作ったというニュースまで登場した。とうとうそこまで来たのである。


 政府の補償をケチり自粛ばかり求め、マスコミの煽り報道続きで日常の移動制限がかかれば不満が蓄積する。不満解消の矛先はどこに向けられるか《コロナ差別》を見れば如実に現れている。


 持病を抱え、おまけに半身麻痺で外出がままならない私が、《仮に》COVID19以外の原因で発熱したのであれば、発熱相談に電話するのは控え、潜伏期間とされる2週間を耐え凌ぐ。COVID19で無くとも、万が一罹患していたら、それはコミュニティからの抹殺を意味するという思いが先行する。


 このような考え方を持つ者は私以外にもいるはずである。さまざまな理由や病気で発熱し、コロナ差別を恐れるがあまり耐え忍んだあげく、突然亡くなったという事例がもしかしたらいくつもあるのではと危惧している。