続・オヒ!の殿堂3(番外編)

藤堂俊介がこっそり書くブログのようなもの

快晴の日曜日

快晴の日曜日
 快晴の日曜日。おだやかな天気の日は、麻痺から来る不調も若干和らぐ。読書でもしよう。


 読書は転倒負傷する前は主にブルーバックスの科学書を中心に読んでいた。意外に読んでいないのが文学。読んでも、松本清張と西村京太郎、推理小説のみ。他のを読んで見ようかなと思う前に、科学書に行ってしまう。《事実は小説より奇なり》というか、幼稚園の頃、挿絵がたくさん入った子供向け百科事典、学研や小学館の図鑑、それに小学校の図書館に置いていた、SF小説を読み尽くした影響たと思う。


 ここまで述べるとは文学と関わりが薄いと思われそうだ。ただし、物語を書くのは好きだった。小学生のころ、先生と生徒の交換ノートがあった。テーマは自由。ああしたこうしたの日記も面白くなかったから、校門から続くブロック塀にカタツムリがたくさん居て見放題であったから、観察して物語を書いて提出した。先生は面白いと返答。ゆえに連載のようなものになった。残念ながらネタ切れ尻切れトンボ。未完で終わった。筋は記憶しているから、完結させよう。


 ペンを持って原稿用紙を埋める作業から、ワープロの登場は編集も推敲も遥かに楽になった。失敗して紙を丸めてくずかごに投げ入れる手間も、推敲だらけで何を書いたか分からなくなることもなくなった。便利さがゆえに、似たような内容が濫造されるようになった。どことは言わないが、ある小説投稿サイトのある分野の物語。LINEの短文チャットに慣らされ、読解力がいる長文は敬遠され、誰もが知っているロールプレイングゲームの筋を使って主人公を転生と言う形ではめ込んでしまえば完成というのか好まれる。それなら特に想像や字間行間に込められた主題を考える手間も省ける。


 読解力は人生を豊かにするもの。空気を読むのもいいが、それよりも活字を読もう。文学をそれほど読まないと書いたのに矛盾している。文章は何も物語に限らない。