植松聖
植松聖
この優生思想を持って、障害者を大量殺傷し判決も出た御仁の事件は、今後の福祉の日本史の教科書に載って行くと思われる。
この御仁を一言で表すと、
障害者は、障がい者でなければならない。 害があるから生産性が無い。
差別や偏見をなくすためか、害の追放が拡がり、5年も経てば、障害者の言葉が駆逐される勢い。 何の疑いもなく使っているこの交ぜ書き。これは、害が無い、害を無くすという、隠れた意味も含まれる。当事者は、害を追放しようが、障害は改善しないし、不自由が自由になる訳でも無い。そんな言葉遊びするよりもっと大事なことがある。
少なくとも、公共機関に《害が無い者》表記は止めて欲しい。漢字2文字で1つの意味だから、意味を持たない音節文字で書かないの差し障りあるのと言いたい。
どうしても、害を見るとアナフィラキシーショックを起こすならば、漢字制限前の表記《碍》と書こう。碍は改正常用漢字に漏れた字。常用漢字は目安という位置づけ。表外字を使うなということではない。《碍》に市民権を与えよう。それも立派なソーシャルワークである。